そこにあり続けることが、誰かの暮らしの一部になる -100年続く岩宇のなりわい- | 株式会社キットブルー

そこにあり続けることが、誰かの暮らしの一部になる -100年続く岩宇のなりわい-

COLUMN
2019/03/05


ニシン景気の中で様々な産業が興った岩宇は、現在でも当時の面影が至る所に垣間見えるユニークな地域です。中でも岩内町には、100年以上前から生業(なりわい)を続けている企業が数多く残っています。今回は地域の情報発信基地でもあり、私たち株式会社キットブルー(KIT BLUE)の活動にもご協力頂いている「吉田蒲鉾店」の吉田さんご夫婦をご紹介。伝統の味を守り続け、地域にあり続ける理由とはーー。


ニシンがつくった街

江戸時代から明治、大正、昭和を通し、北海道の発展に大きな影響を与えてきた魚・ニシン。3〜5月の産卵シーズンになると沿岸にやってくるニシンは、春の訪れを告げる存在でもありました。1897(明治30)年には100万トン近くが日本海沿岸に押し寄せ、その後1960(昭和35)年頃まで漁が続きます。





当時の北海道で人口の多かった街といえば、札幌、小樽、函館、江差。そして、岩内町。漁業とともに水産加工業が発展し、商工業も次々に興ります。1912(大正元)年には国鉄岩内線が開通し、岩内の駅前にはキャバレーができ、商店街も大いに活気づきました。



▲岩内の駅前通りにある呉服店。100年以上の歴史がある


一方で同じ岩宇地域の神恵内村と泊村は、ニシンの漁獲量が全道トップクラス。人口は岩内に及ばないものの神恵内村にも茶屋町があり、割烹料理屋や遊郭が軒を連ねていたそうです。数は少なくなりましたが100年以上経営を続けている商店や菓子店、魚種や漁法を変えて漁業を続けている方もいらっしゃいます。


1年の稼ぎを数カ月で賄い、1軒の網元に100人規模の雇用が生まれたニシン漁。今の私たちにはニシンが浜を埋め尽くす様子は想像がつかないですが、もしニシンの到来がなければ、北海道、そして岩宇の発展はなかったかもしれない…。そんなふうに思えるほど、重要な役割を果たした魚だったことが伺えます。


120年愛される名店

ニシン景気を受けて開かれてきた岩宇地域の中でも、100年以上にわたって生業(なりわい)を続けている企業が数多く残る岩内町。建築会社、床屋、呉服店、餅屋など町の随所にその姿が見られます。岩内の水産加工業を代表する「カネタ吉田蒲鉾店」も100年企業の一つ。同店は2018年に、創立120周年を迎えました。




お店の中に入ると目に飛び込んでくるのは、作りたての蒲鉾がずらりと並ぶケース。そして、冷蔵ショーケースの中には可愛らしいパッケージの蒲鉾が。「魚ロッケ」「あげあげ」「アスパラさん」などユニークな商品名と一緒に、商品の特徴も添えられています。 



「蒲鉾は基本、茶色だから。写真映えしにくいんですよね(笑)だから自分が見た時に、これいいなぁ〜と買いたくなる商品ができないかなと思って。スーパーで卸すものの他に、店舗でしか買えない商品を作ったりしています」

そう笑顔で解説してくれたのは、吉田奏見さん。自ら店頭に立って蒲鉾を販売し、商品開発、宣伝・広報活動も一手に引き受けるオカミさんです。5代目であるご主人の吉田智一さんとともに、蒲鉾づくりのバトンを引き継いでいます。


「お店が始まったのは、1899(明治32)年。新潟県出身の初代・吉田音吉と花柳界(芸者や遊郭の業界)で有名だった料理店『金精楼』の料理人・川崎弥助さんが一緒に蒲鉾作りをスタートしました。当時はニシンの全盛期で、同時に蒲鉾の材料に適していたスケトウダラも数多く漁獲されていたようです。どうやら蒲鉾はいいらしいぞ…ということで、その後も同業者がどんどん増えていきました」


▲創業当時から定番の「角焼」

ところが、蒲鉾ブームの到来は思わぬ弊害も生み出します。競争の始まりとともに「猫もまたぐほど美味しくない“猫またぎ蒲鉾”」と言われるほど、粗悪な商品が横行。その悪評が全国に広がりました。1922(大正11)年には町内に8軒の蒲鉾屋がありましたが、次第に事業不振に陥り、最後まで残ったのが吉田蒲鉾店でした。





「蒲鉾を作る難しさって色々あると思うけど、素材(すり身)がナマモノであることが大きいかもしれません。5代目の作業を毎日隣で見ていると、その時々によって原材料の質が微妙に違うのが不思議と分かってきます。色や脂の乗り方、揚げた時の感覚とかね。
うちの蒲鉾はモチモチ感が強くて、煮崩れしにくいのが特徴です。安く大量に作ることだけを考えるなら加水率を上げてカサ増しすればいいのかもしれないけれど、それをやってしまうと“吉田の蒲鉾”ではなくなってしまうんですよ」




蒲鉾のベースとなるすり身づくりが、吉田蒲鉾の味を支える“肝”。すり身を固めるために塩を加えますが、その分量やタイミング一つによっても蒲鉾の質感や味わいが絶妙に変化するため、“毎日同じように”美味しい蒲鉾を提供するには卓越した技術が求められます。
毎日午前3時に起床し、すり身づくりに取り掛かる智一さん。先代からレシピを受け継いだり、手取り足取りで製造技術を教わったことはなく、「目で見て覚える」のが基本だったとか。蒲鉾づくりを始めた頃は、製造技術を安定させるため箸が持てなくなるほど練習に励んだこともあるそうです。


蒲鉾が地域と時代をつなぐ

そして今、智一さんと奏見さんは吉田蒲鉾の新たな時代を作っています。伝統の味を守りながらも、同じ後志管内の食材や特産物とのコラボレーション、季節限定商品などの新しい蒲鉾作りに果敢に挑戦。常時20〜30種類、年間で80種類もの商品を販売しています。



また、イートインスペースの設置や子供を対象にした蒲鉾作り体験の受け入れなどを実施。SNSを活用したPRにも力を入れ、店舗を訪れる観光客には自分たちの商品を売るだけでなく、近隣のお店や観光情報をPRする情報発信基地の役割も担っています。



「最近は家庭で煮物料理を作る機会が減っているし、蒲鉾が何から作られ、誰がどんな工程で製造しているかなんてほとんどの人が知らないんじゃないかな。だからこそ蒲鉾を通して、本当の蒲鉾を知ってもらいたい。実際、『俺、カマボコ嫌いなんだけどー』って言う子ほど、体験後は食べるようになりますよ(笑)
食べ物を作る喜びって、美味しいと言ってもらえることが全てだと思う。結婚してお店を手伝うまでは正直、蒲鉾がお客さんにとってどんな存在か分からなかったんです。でも『ここの蒲鉾じゃなきゃダメ!』と言ってくださる方とか、こんなに食べるの?と思うくらいたくさん注文してくださる方と出会う中で、『あぁ、“吉田の蒲鉾”を作り続けないとダメなんだ』と感じたんですよね」





蒲鉾を通して人や地域が繋がり、歴史や文化がつながっていく。そこにあり続けることが、誰かにとっての思い出や暮らしの一部になる。そんな静かで深い喜びと、自分たちや地域のルーツに寄せる想いが、吉田さんご夫婦の蒲鉾づくりに感じられました。


●カネタ吉田蒲鉾店
北海道岩内郡岩内町御崎1-5
0135-62-0245
営業時間/9:00~17:00
定休日/水曜日
駐車場あり(大型バス1台、普通車5台駐車可能)
ホームページ/http://www.kanetayoshida32.com/
Facebookページはこちらから